東京高等裁判所 昭和45年(ネ)271号 判決 1972年7月10日
控訴人 内外開発株式会社
右訴訟代理人弁護士 沢邦夫
同 菅原隆
被控訴人(脱退) 菅原淳子
被控訴人(脱退) 菅原寛
引受参加人 額田容次
右訴訟代理人弁護士 加藤隆三
主文
一、引受参加人の請求をいずれも棄却する。
二、訴訟費用中、控訴人と引受参加人との間に生じたものは引受参加人の負担とする。
事実
一、当事者の求めた裁判
控訴代理人は主文第一項と同旨の判決を求め、
引受参加人は控訴人は引受参加人に対し、
(一)別紙目録記載の土地についてなされた昭和四四年三月一〇日受付第八〇五六号所有権移転請求権仮登記、同日受付第八〇五五号抵当権設定登記、同日受付第八〇五七号停止条件付賃借権設定仮登記の、
(二)別紙目録記載の建物についてなされた昭和四四年三月一〇日受付第八〇五八号所有権移転請求権仮登記、同日受付第八〇五五号抵当権設定登記、同日受付第八〇五九号停止条件付賃借権設定仮登記の、
各抹消登記手続をせよ。
との判決を、それぞれ求めた。
二、引受参加人の主張
別紙目録記載の土地は被控訴人菅原淳子の、同目録記載建物は同菅原寛の各所有であったが、同各不動産について控訴人のためそれぞれ引受参加人の請求の趣旨に記載の各登記がなされていたので、右被控訴人らは右各登記の抹消を求めて本訴を提起していたが、その勝訴判決に対する本件控訴審の進行中、昭和四五年四月一七日引受参加人は右各被控訴人からそれぞれの右不動産所有権を譲り受け、その移転登記手続を了し、右被控訴人らの申出によって同人らの従来の訴訟上の地位をも引き受けたので、引受参加人のため改めて請求の趣旨記載の判決を求める。
三、控訴人の主張
(一)引受参加人の主張事実を認める。
(二)控訴人は昭和四四年二月二八日有限会社伊沢工業に対し、金八〇〇万円を期限同年四月一五日利息年一割五分、損害金日歩金八銭二厘と定めて貸し付け、同日脱退被控訴人ら(以下単に被控訴人らと称する。)は連帯債務を負担する旨合意し、かつ、各土地建物について抵当権を設定し、債務不履行のときは代物弁済をする旨予約し、かつ、債務不履行を停止条件として賃料一月金五〇〇円、賃料支払期日毎月末日、期間三年とする賃貸借契約を締結し、各その旨の引受参加人主張の登記をすることを承諾したのである。
右承諾に至る経過は、以下のとおりである。
被控訴人らは昭和四三年暮頃、被控訴人淳子の兄、同寛の息子である訴外菅原武を介し訴外有限会社伊沢工業(伊沢工業と称する。)に対し、同社が他から金融を受けるときは本件土地建物を担保に供してもよい旨申し出で、本件各物件の権利証および被控訴人らの実印を伊沢工業の取締役、営業部長の加瀬成男に交付してそれらを右担保提供手続に用いることを許した。
伊沢工業は右申出に応じ昭和四四年二月一四日頃金一、〇〇〇万円を訴外許永男から借り受け前記被控訴人らから提供された実印等を用い、改めて菅原武の承諾をえて本件各物件に第一順位の抵当権を設定し、同日その旨の登記手続を経たが、更らに不足する資金を補うため、同会社代表取締役伊沢一義および加瀬成男は、同年二月末日、金木光五郎を介し、控訴会社から金八〇〇万円を借り受け、前記のとおり被控訴人らから前に預っていたままの本件各物件の権利証および同人らの実印を用い、被控訴人らもまた右債務について伊沢工業と連帯債務者となる旨および本件各物件について本件各担保契約の内容である各権利を設定する旨の被控訴人らを直接の表意者名義人とする証書を作成させてこれを控訴会社に差し入れ、かつ、その証書内容に沿う引受参加人請求趣旨記載の各登記手続を了させた。
右伊沢工業の代表取締役伊沢一義および加瀬成男と控訴会社との会員貸借に伴う被控訴人の連帯債務負担および本件各物件についての前記各権利の設定に関する証書作成、その証書内容に沿う登記手続経由の各行為はいずれも直接被控訴人らの指示により、その意思に基づいて行われたものであるから、それらの証書の内容に沿う行為および登記手続は、被控訴人らの行為として有効なものである。すなわち、控訴会社との間の右行為に当った金木光五郎はもちろん、菅原武、伊沢一義、加瀬成男らはいずれも被控訴人らの使者ないしは事実行為の代理者として所要証書類の作成に関与したに過ぎない。
仮りに右訴外人らの右行為には、被控訴人らから与えられた指示を逸脱するものがあったとしても、被控訴人らは後日右行為について黙示の承認をしたものである。
(三)仮りにそうでないとしても被控訴人らは昭和四四年二月頃、伊沢工業ないし加瀬成男に対し、菅原武を介して前記行為を被控訴人らのために代理してなすべき権限を与えた。
(四)仮りに右事実が認められないとしても、被控訴人らは右行為をすることの代理権を菅原武に授与し、同人はその代理権の範囲でその余の訴外人を使者として前記行為をさせたものである。
(五)仮りに以上の主張が理由ないとするならば控訴人はつぎのとおり主張する。
訴外伊沢工業が昭和四四年二月中旬許永男から金一、〇〇〇万円を借り受けるに際し、被控訴人らは本件各物件に右債務を担保するための抵当権設定契約の代理権を、菅原武並びに同人から前記実印の交付を受け、さらに順次これを入手した伊沢一義または加瀬成男に授与した。右各代理権はいずれも同年二月中旬伊沢工業が許永男から金一、〇〇〇万円を借り受け、本件各物件に第一順位の抵当権が設定され、その旨登記手続が完了したことにより、その目的を達して消滅し、前記菅原武、伊沢一義、加瀬成男は被控訴人らを代理して他からの金融について本件各物件について担保権を設定し得る権限を失っていたとしても、同人らが控訴会社を代表して右各契約に当った伊藤隆七は右事実を知らず、真実前記各行為が前記代理人らの正当なる権限に基づいてなされたものと信じていたのであり、かつそのように信じたにつき正当な理由があったのである。
すなわち本件金額取引は十数年来交際のあった金木の仲介によるものであること、伊沢工業はすでに本件金融前にも右金木を介して本件各物件を担保に控訴人に金融申込をなしたこともあったが、別途許永男から正当に右各物件に担保を付して金一、〇〇〇万円を借り受けた事実があったことを控訴人は知っていたこと、そのうえでさらに再び本件金融申込が同じ金木を通じ伊沢工業からなされたので、控訴人は被控訴人らには右前後を通じ担保提供の意思に変ることがあるとは考えられなかったこと、右金木が持参した抵当権設定金員借用証書(乙第一号証)の被控訴人ら名下の印影と印鑑証明書の印影とを照合すると、両名ともそれらの印影が一致し、取引の経験上特に疑うべき事由がなかった。
右の事情は民法第一一〇条所定の正当な理由に該当するから、同法第一一二条、第一一〇条による表見代理の法理により被控訴人らは右訴外人らのした前記各行為の責を免れえない。
よって引受参加人の請求はいずれも理由がない。
四、控訴人の主張に対する引受参加人の反論
控訴人の当審における主張中、被控訴人らが伊沢工業に対し同社が許永男から金一、〇〇〇万円を借り受けるにつき、本件各物件に第一順位の抵当権を設定することを承諾し、その契約書作成および登記手続等に使用するため実印を菅原武に交付した事実、および伊沢工業が控訴人から金八〇〇万円の融資を受け、現実に右金額の交付を受けたことは認めるがその余は争う。
控訴人主張の正当理由も争うが、仮りにその理由として主張する具体的事実が真実であったとしても、控訴人は金融業者でありながら僅かな労で済む調査義務を怠り、被控訴人らの真意を確かめることをしなかった過失があり、特に本件において金員の借主と担保提供者とが同人格であり、しかも提供者は伊沢工業の主宰者でも取引先でもないこと、金木は当初一番抵当を設定して金員を借りたい旨申し入れておきながら後日二番抵当に変更していること、本件各物件には権利証がないので保証書で登記手続をしなければならない旨申し入れていること、金木が持参した抵当権設定金員借用証書(乙第一号証)の末尾記載伊沢一義の住所氏名と被控訴人ら両名の住所氏名の筆跡、同じく金木が持参した被控訴人寛の委任状(乙第八号証の三)および被控訴人淳子の委任状(乙第八号証の四)の各末尾の住所氏名の筆跡が全部同一人によるものと見られる等、幾多不審が存することに鑑みるときは、右は重大な過失というべきであるから、到底控訴人主張の正当な理由が存在するものとはなしえない。
五、証拠関係<省略>。
理由
一、前出事実欄二の引受参加人主張の事実は当事者間に争いがない。
二、そこで、前出事実欄三、(二)ないし(四)の控訴人主張にかかる抗弁について考察する。被控訴人らが、訴外菅原武、伊沢一義または加瀬成男らを使者として控訴人主張の各行為をしたとか、あるいは同訴外人らの同行為について黙示の承諾をしたとかという事実も前出(三)または(四)の事実も、本件につき取り調べた全証拠によってもこれを認定することができない。よって控訴人の右各抗弁は採用しない。
三、次に、前出事実欄三、(五)の控訴人主張にかかる抗弁について考察する。
被控訴人ら名下の各印影がそれぞれ同人らの印章により顕出されたものであることにつき争いなく、同人ら名義の各署名部分の住所氏名は当審証人西野嘉一の証言により同人が伊沢一義の命を受けて記載したことを認めることができ、その余の部分の成立については右証言ならびに原審および当審証人金木光五郎の証言により(被控訴人ら各作成部分を除き)真正に成立したと認めることのできる乙第一号証、当審証人金木光五郎の証言により真正に成立したと認める同第二号証、成立に争いのない乙第三ないし第六号証、同第七号証の一、二、同第八号証の一、五、六、被控訴人菅原寛名下の印影が同人の印章により顕出されたものであることに争いなく、同人の署名は当審証人西野嘉一の証言により同人が記載したものであることを認めうる(被控訴人菅原寛の真正な委任状として成立したか否かは別。)乙第八号証の三、被控訴人菅原淳子名下の印影が同人の印鑑により顕出されたものであることにつき争いなく、同人の署名は当審証人西野嘉一の証言により同人が記載したものであることを認めうる(但し被控訴人菅原淳子の真正な委任状として成立したか否かは別。)乙第八号証の四、前記各証言、当審証人米田信也、当審および原審証人菅原武、同金木光五郎の各証言ならびに当審証人西野嘉一の証言、当審における控訴会社代表者伊藤隆七本人尋問の結果を総合すると左記事実が認定でき当審証人西野嘉一の証言中右認定にそわない部分は右認定を左右するに足りず、原審および当審証人加瀬成男の証言中右認定に反する部分は、記憶ちがいと推察される部分が多いので採用しない。他に右認定を覆えすのに足りる証拠はない。
(一)被控訴人寛の長男で、同淳子の兄に当たる菅原武は小松建設工業株式会社に勤務するうち、同社の下請をしていた伊沢工業の社長伊沢一義、営業部長加瀬成男と知り合い、特に加瀬と親密に交際するようになったところ、昭和四三年暮頃同人から伊沢工業が金融を計かるため担保になる物件を提供されたい旨懇請され、金融機関から借り入れること、被担保債権額は金一、〇〇〇万円未満とすること、第一順位抵当権のみ許すことという条件で本件各物件につき、右会社の債務の担保のため抵当権設定等の担保契約を締結することを承諾し、その旨被控訴人らの了解を得たうえ、同人らから本件各物件の権利証を借り出してこれらを加瀬成男に貸与しその利用を許した。
(二)伊沢工業は当初多摩信用金庫から融資を受けようと努力したが奏功せず、止むなく金木の紹介で訴外許永男(日本名松原)から金一、〇〇〇万円の貸付を受けようとし、昭和四四年二月中旬伊沢一義、加瀬成男は菅原武宅で同人および被控訴人淳子立会の上で許永男と会見し、右融資につき協議した結果、貸付金額を金一、〇〇〇万円とし、本件各物件に右債務を被担保債権として第一順位の抵当権を設定すべきこと等、貸付契約の大綱につき合意ができ、その際菅原武は他出していた被控訴人菅原寛からも右の結果に至るであろうことに予め了解をえており、右抵当権設定等の目的のため必要とされる契約内容の細部の決定を委せる趣旨を含めて、これに伴う契約書その他文書の作成、登記手続等に使用するために必要な被控訴人らの実印を加瀬成男に交付した。
(三)そこで伊沢一義、加瀬成男らはその頃許永男から金一、〇〇〇万円を借り受けるとともに右両名で被控訴人らを代理して右債務につき被控訴人らが連帯してこれを負担することに合意し、かつ右債務を担保するため本件各物件につき第一順位の抵当権を設定し、その旨登記手続を了した。
(四)伊沢工業はなお資金に不足していたので伊沢一義、加瀬成男は、被控訴人らの印鑑証明書各一通と実印が手許にあったのを幸いに、本件各物件に第二順位の抵当権を設定する等の方法により、更らに一、〇〇〇万近くの融資を得たいと考え、金木光五郎を通じて昭和四四年二月下旬頃控訴会社に融資の交渉をし、右印鑑証明書および実印を用いて同月二八日をもって被控訴人ら名義で控訴会社との間にその主張の前記事実欄三、(二)記載のとおりの各契約(本件担保契約と略称する)を締結し、かつその旨各登記手続をすることを承認し、その各登記を了したうえで同年三月上旬から数回にわたって右貸付金合計金八〇〇万円の交付を受けた。
(五)控訴会社代表者の伊藤隆七は金木光五郎と金融上の取引・仲介等を通じて十数年間知り合っており、同人を信用していたところ、金木は昭和四四年一月頃本件各物件の権利証および公図の写しを持参して、この物件を担保に伊沢工業のため金一、〇〇〇万円程融資して欲しい旨申し入れた。伊藤はこれに対し明白な返答をしないでいたところ、暫らくして同年二月下旬頃再び金木が来て、前記物件で他から金一、〇〇〇万円程借りたので二審抵当になるが、なお資金が必要なので一、〇〇〇万円程借りたいと希望した。
(六)伊藤は気が進まなかったが金木がなおも懇請し、返済の見込もあるらしいうえ、本件物件は先に現地に赴いて調査したところでは金二、〇〇〇万円程の担保価値があったので、金八〇〇万円位なら貸してもよい旨答えた。
(七)伊沢工業においては伊沢一義、加瀬成男の指示により西野嘉一、金木光五郎が事務を担当して、伊沢工業、伊沢一義および被控訴人らを連帯債務者とする本件消費貸借契約、本件担保契約およびこれらにつき登記手続をすることに対し被控訴人らが承諾する旨の記載のある抵当権設定金員借用証書(乙第一号証)を作成し、その末尾連帯債務者の署名欄に被控訴人らの住所氏名を記載し、その各名下に被控訴人らの実印を押捺し、これを同じく右実印を使って作成した委任状(乙第八号証の三、四)およびかねて下付を受けておいた被控訴人らの印鑑証明書(乙第八号証の五、六)とともに金木を通じて伊藤隆七に提出した。
(八)伊藤はこれら文書の印鑑を照合したところいずれも被控訴人らの実印と一致した。そこで同人は右事実と金木は十数年来の交際から信用できること、本件各物件については控訴人に対する前回の申込とほぼ同様許永男から伊沢工業への金一、〇〇〇万円の貸付金の担保として抵当権が設定されているのでこのことからすれば、被控訴人らの伊沢工業のためにする本件物件の担保提供意思に前後を通じて変るものがあるとは思わず右各書面は被控訴人ら自身か、そうでないとしても正当なる権限を有する代理人により作成されたものであると信じて本件担保契約を締結し本件土地建物に前記各登記を経由した。
以上認定の事実関係によれば被控訴人らは伊沢工業のため、許永男に対し伊沢工業と連帯債務を負担するとともに本件各物件について順位第一番の抵当権を設定することを承諾し、菅原武に対し権利証および実印を交付して右承諾の範囲内で一切の必要かつ附随の行為をなすべき代理権を必要とあればさらに伊沢工業の役員らを復代理人に選任する権限をも含めて授与したものであるとするのが相当であり、それによって菅原武は伊沢一義および加瀬成男に復代理権を与え許永男から前記の融資を受け、かつ前記抵当権を正当に設定したのである。そして前記金木を通じて控訴会社との間になされた伊沢一義および加瀬成男による本件担保契約およびその登記に関する行為もまた右伊沢工業と許永男との金融におけるものと同様復代理の態様をなすものというべきであるが右代理権限はすでに許永男のために本件各物件について順位第一番の抵当権を設定しその旨登記手続を完了するとともに目的を達して消滅したものであり、控訴会社との間の伊沢一義および加瀬成男らによる本件各担保契約に関する右代理行為は前記各代理権消滅後になされたものであり、かつ前記各代理権の範囲を超えていたものである。それにもかかわらず控訴会社代表者伊藤隆七は、本件担保契約について伊沢一義および加瀬成男には正当な代理権限があったものと信じたものというべきである。
四、引受参加人は、事実をあげて、伊藤隆七が右のように信じたことに過失があると主張するので、さらに考察する。
たしかに被控訴人らと伊沢工業との関係について控訴会社代表者伊藤隆七が調査をしたことの証明はない。しかし、同じ金木光五郎の仲介で被控訴人らは同じく伊沢工業のために担保提供者となっている事実のあること、それを伊藤が本件金融前に知っていることは前記のとおりであることからすれば、右両者間の関係に不審を持たず、格別の調査をしなかったからといって、これを過失であるとするのは相当でない。
また、前記認定の事実関係に明らかなとおり金木は控訴会社に対し当初本件各物件に対する一番抵当で金一、〇〇〇万円の融資を申し入れ、ついでこれを二番抵当に変更し、理由として他の業者から金一、〇〇〇万円を借り受けその担保として本件各物件に第一順位抵当権が設定されている旨説明している。このような場合、すでに目的を達した後の無権代理行為によるものではないかを疑うのが通常であるとはいえないし、むしろ、正当に一番抵当権の設定によって代理権の存在が明確になったと考えられる面もあるのであって、本件において伊藤が右事実に関し代理権消滅の疑いをもたなかったといってもこれをもって過失とはなし難い。
また本件担保契約締結時に本件物件の権利証がなく、本件各登記手続は保証書によってなされたことは当審証人金木光五郎の証言によって認められるが、前記認定の事実によれば、金木が当初控訴会社代表者伊藤隆七に対し金融申込をした時には本件各物件の権利証および公図をも持参していたのであり、その後前記認定のとおり許永男のために本件各物件に先順位の担保権が設定されたことを伊藤は知ったのであるから右権利証が右債権者許永男の手許に在ると推測することもありえないことではなく、この点に不審を抱いて調査しなかったからといって、伊藤に過失ありとはいえない。
最後に乙第一号証、同第八号証の三、四の被控訴人らの署名の筆跡が同一人によるものであることは右書証を一見して明らかであるのみでなく、当審証人西野嘉一の証言によれば同人がこれらを代書したことが認められる。しかしながらわが国においては、文書の作成には印鑑が重視され、署名がそれ程に重要視されず、ときに所謂署名代理という慣行さえある実情に照らすと、右各署名欄の記載が被控訴人らの自署でないことに気付かなかったか、または気付いても不審を抱かなかったことについて過失をもって論ずることはできない。
以上諸般の事情を考慮するときは控訴会社代表者伊藤隆七が伊沢工業の伊沢一義および加瀬成男らに本件担保契約を締結し、かつ本件各登記手続を承諾する代理権があると信じたことに過失もなくむしろ正当な理由があるとするのが相当である。
五、そうすると本件担保契約および同登記手続に対する承諾は、民法第一一〇条および第一一二条によって被控訴人らのため有効になされたと解される。すなわち本件各登記はいずれも有効な登記原因および登記手続に基づいてなされたものであり、控訴人としては引受参加人の抹消請求に応ずる義務はなく、引受参加人の請求は理由がない。
よって、以上の判断に相違する判断を前提とする原判決は失当に帰するが、被控訴人らは本件訴訟から脱退しているので原判決を取り消すことなく、引受参加人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担については、これまた脱退被控訴人らに関する部分を除き民事訴訟法第九六条第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 畔上英治 裁判官 下門祥人 兼子徹夫)